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『君といた夏 アロッタ夏祭り2007』(その1)
アロッタファジャイナ番外公演『君といた夏 アロッタ夏祭り2007』@渋谷ギャラリールデコ。今回は出演者として参加した思い出深き(ことになるでしょう)公演です。
そして、アロッタさん的にも旗揚げと同じ場所に戻っての、何か節目になりそうな予感さえ(勝手に)する公演、ってことでどうでしょうか(←誰に訊いている?!)。
そんなこんなで観劇する機会もありまして、まあ、いつものように雑感をつらつらと書き連ねていきましょう。

まず驚いたのは、舞台中央におっ立っている極太の柱。演出上必要だからではなく、構造上避けられないもの。利用せずとも気にさせずに演じきる組もあれば、逆にうまいこと利用している組もありました。ということで。

◆松枝組『農業少女』
野田秀樹・作。これで僕自身6つめの野田作品観劇(テレビも含めて^^;)です、ようやく。というのはさておき。。

ざっくり筋をおさらいすると。。
都罪(つつみ)氏による都市農業の会の講演に、ピストル片手に乱入する農家の男、実は百子の父親。「農業少女」にまつわる、百子という少女にもたらされた都罪の罪を話し出す。

農業に嫌気がさしてひょんなことから東京に出てきた少女・百子。東京でのボランティア活動を通し出会った都罪に恋心を抱くようになる。そして都罪のいろいろな活動を手伝ううちに、百子が行き着いた先が、やっぱり農業。
食べるとう○このにおいが消えるお米、う○こからつくったう○この匂いが消えるお米、介護するヒトもされるヒトもとても楽になるお米、不登校の少女たちがつくる、学校にいっていない少女たちの手によるお米、その名も「農業少女」。
だがしかし、狡猾な大人・都罪によって利用されるだけ利用され、実際にお米を作るために実家に戻って米を作り始めた百子は、世間にも忘れられ、いつしか耳が、ヒトの声だけが聞こえなくなっていった。
必要とされていない米を、健気にも作り続ける百子。東京に出る前、線路に耳をつけて東京の音を聞いていた百子。耳が聞こえなくなったいまでもこの音だけは聞こえる。
講演会のために九州を訪れた都罪は百子に会いに行く。再開を喜び抱きつく百子。しかし、政界に打って出る都罪の、百子をねぎらう言葉に、聞こえないはずの百子が反応する。農業を捨てるのですね。と。
農家の男、百子の父を装って、講演会にピストルを持って乱入した男、実は東京時代の百子と生活を共にしていたこの男・山本ヤマモトは、講演中の都罪につめよる。百子があのような姿になったのは都罪せいだ。ピストルをつきつける山本。
百子の耳に、線路の音が聞こえなくなった時、都罪は山本ヤマモトの凶弾に倒れた。
百子は、米を作り続ける。百子の夢、農業少女を今日も。。

大阪弁をしゃべくる、百子をたぶらかす女が出てきます。いや、大阪弁じゃないのかもしれません。大阪弁によく似た怪しい言語をしゃべる怪しい女と言うことかもしれません。でも大阪弁に似ているので、大阪弁じゃないところがあると、とても気になってしまいます。
といいながら、九州弁もそうかもしれません。九州弁によく似た、農家っぽい言語をしゃべる男と言うことかもしれません。九州弁をよく知るヒトがきいたら違和感を感じるかもしれません。ですが、僕は九州弁には明るくないので、こちらはそれほど違和感なく聞けてしまいます。
ヒトそれぞれの中にあるイメージと実際が違う場合があります。例えば、イメージが実際より一般的になっている場合には、何を意図するかでそのどちらを選択するのか、非常に難しくなってくるのでしょう。
登場4人のうち、ひとりを除いて3人がダブルキャスト。中でも百子役は、岡村麻純さんと、満島ひかりさん。
声の聞こえなくなった百子。こちら側の三次元とも四次元ともいわれる世界とは、その一本の軸が違う方向を向いてしまったかのようなあちら側の世界に住んでいる百子をより思わせたのは、岡村麻純さんでした。
僕は見たことありませんが、彼女たちが、本家?の深津絵里さんバージョンを見たのかそうでないのか、それによって自分らしい百子を演じようとしたのかそうでないのか、一般的なイメージと実際がどちらがどうなのか、僕が観た回によるのかわかりませんが、泣けてきたのは岡村バージョンでした。
百子が都罪の手によってAVに出演させられていたにもかかわらず、東京で一緒に生活していた山本ヤマモトではなく、都罪を愛していた、耳の聞こえない状態になってもまだ都罪を忘れずにいた、その山本のやり切れなさを強く感じたのは、いや、もしかすると、全ては毒草の研究を生業とした山本の勝手な妄想かもしれませんが、やり切れなさ切なさを感じたのは、岡村バージョンでした。
満島バージョンが悪いと言うわけではもちろんありません。むしろ、満島さんの方が百子になりきっていたかもしれません。満島バージョンを観たのは7時間近く観劇してきた一日の終り、2回観た岡村バージョンはわりと元気な時だった。というのも関係あるかもしれません。

満島バージョンの時、隣のとなりに座っていたちっさいオッサンが野田さんだったと聞かされたのは、次の日でした。ナニって訳じゃないけど、なんだかザンネン。。


and Peace!
by hajimechan74 | 2007-09-05 10:59 | 舞台映画鑑賞
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