人気ブログランキング | 話題のタグを見る
息が合うということ。
たまにはサッカーの話でも。
サッカー観戦(最近はもっぱらTV)で何を考えながら観てるのかなぁ。と改めて振り返ってみました。ということで。。

まずは蹴る側の話。
ボールを蹴るとき、選手はボールを見ています。極マレに全くボールを見ない、というか、全然別のところを見て蹴るヒトもいるようですが、そういうヒトはおいといて。

蹴る瞬間、足がボールにあたる瞬間は、基本的にボールを見ています。なので、蹴る方向、目掛ける相手のことは、蹴る瞬間には完全に頭の中。想像の中で「あの辺」と思い描きながら蹴ることになるのです。では、いつ蹴る方向を決めるのかというと、それはもちろんボールを蹴るまでに決めるのです。

当たり前!と言われそうですが、これが俗にいう「ルックアップ」という動作になるのですね。
しかし、ボールを受けてから、つまりボールを持ったところから改めて周りを見ていては、スピードアップが叫ばれる現代サッカーでは、遅い!と言われるようです。
ではもう少し前、ボールが自分に向かって転がっている時ならどうでしょうか。パスを出した選手から離れたボールは、物理法則にのっとって運動をしますので、そうそうのことがない限りはボールから目を離しても大抵は予想通り、ボールを受けることが出来るでしょう。さあ、では、このボールが転がっている間に周りを見渡しましょう。でも、転がってくるボールから目を離すのには慣れるまでは勇気も(技術も)要りますし、なにしろ時間的な余裕があまりないので、なかなかムツカシイな、といった感じでしょうか。

ではそのもう少し前、ボールが味方の選手の元に在る時ではどうでしょう。時間的余裕は先ほどより増えました。ですが、今度は物理法則ではなく、ボール保持者の意思が絡んできますので、いつパスが飛んでくるか、予想通りというわけにはいきません。ボール保持者を見つつ、全体を見渡す。守備陣形を見ながら、ボールの行く末をみる。キョロキョロキョロキョロするわけです(ここで、視野の配り方や、元をただせば視覚情報の処理の仕方等のテクニックが必要となってきますし、そしてここで前もって周囲を確認しているからボールが転がっている時にボールから目を離すことが出来るようになるのですが、それはまた別の話として)。

話が前後していたら、蹴る側の話が受ける側の話になってしまいました。ちょうどいいので、蹴る側と受ける側、出し手と受け手の関係に話を進めてみます。

ここでまた、前述のボールを蹴るヒトの動作を思い出してみましょう。ボールを蹴るときには、ボールを見ています。そしてこの時、頭の中で何をしているかというと、どこに蹴るかというイメージを描いています。プレイヤーは蹴る少し前に見た景色を頭の中に描きつつ、そこから蹴るまでの経過時間分だけのシミュレートを経て、想像される景色・イメージへ向かってパスを出す訳ですね。カッコイイ言い方をすると、少しだけ先の未来に向かって繰り出されたパスは、ボクたちを今まで見たことのない素敵な世界へと誘(いざな)ったのでした。なぁんてことになるわけです。う~んカッコイイ!(自分で言っておく)。

ところが、受ける側がこの蹴る側の動作、行動様式?を把握していないと、チグハグな結果が生まれます。どういうことかというと、蹴る側がいつ周りを見渡したか見ていない、極端に言えば、蹴る瞬間に動き方を変えてしまう、なんてことになると、なんだよォ、オレは足元に欲しかったのにィー!!え?だって、さっきスペースに走り出した(走り出そうとした)じゃん。だからそっちに蹴ったんじゃんかよぉー!!そして、無人のスペースにボールだけがコロコロコロ。。などという、よく見る光景になったりするのですね。

でまあ、ようやく表題の、息が合う、という話のところまで来ましたよ。といっても、もうお察しの通りと思いますが。
ここまで書いてきたことは、ほぼ初対面に近いもの同士のやりとりに多く見られるケースと言ってもいいでしょう。どういう性質なのかどういう性格なのか、どういうクセを持っているのか、お互いに分からない状態での話です。
例えば、南米スタイルが好きか欧州スタイルが好きか、とか、足元に貰いたがる、あるいは、いつでも裏のスペースを狙っている、とか、出し手の都合は考えず自分のタイミングで動き出してしまうヤツなんだよアイツは、とか、こういう体勢になった時にはあいつはパスを出さないから、このタイミングでは周囲を見渡せる、とか、ここはこのタイミングでスペースに走り出すのが世界標準なんだよほら走れ!とか、全然こっち見ていないようだけど、あいつがこのスペースを見逃すはずがないから、必ずこっちにパスを出す、そう、あいつならやってくれるはずだボクはそう信じてる、だからボクはここでキミの帰りをずぅーっと待ってる、うるうる。うる。とか、ヒトによって様々ある性質、クセ、もちろん技術を理解することで、数ある選択肢のうちから、瞬間的にお互いにほぼ同じ答えを導きだすことができるようになればシメタものです。そして、その確率をあげることで、ワンタッチでの高速パス回しであるとか、絶妙なスルーパスといった、「息の合った」プレイが生まれるのだと思います。

「単純なプレイでいいんだ。」なんていう言葉もこの辺りのことを表現しているように思われます。複雑な、臨機応変なプレイというのは、多岐にわたる技術やそれを裏付ける身体能力等々、いろいろな要素が必要となりムツカシイのはもちろん、それだけプレイに手をかけた場合、共通のビジョンの描き方にブレを生じさせることにもつながるのだと思います。

そしてまた、よく耳にする言葉で「イメージの共有」というものがありますが、これも似たようなところを狙っているのだと思います。ただ、この言葉に含まれる意味として、練習等において反復することによって、共通する性質を取り入れていく、植えつけていく、というものがあると思います。
つまり、頭の中のシミュレートが同じビジョンを描くように積極的に(あるいは強制的に)働きかけ、少々複雑なプレイでもブレを少なくしていこう、という意図があるように思います。

なぁ~んて言って、性質とかクセとか掴んでも、助けにはなりますが、そこはやはり状況状況で臨機応変に対応しないといけないので、周りをよく見ないといかん訳ですね(それを言ったらミもフタもナイキがしますが)。そして、それものべつまくなし見られるなら見られるだけ見たいわけです。
ではどうすればいいか。時間がないのなら自分で作り出そうってことで、ルーチンワーク(止めて蹴るとかね。ほんとはこれが一番大事)は足元を見なくても(多少のことは)出来るように練習するのですね。そうして練習して練習して技術を磨いて、足元をみなくても(やっぱり多少の)ボール扱いが出来るようになった選手が、では周りをよく見ましょうってことで、たとえば中盤の底で、中村選手や中田ヒデ選手や懐かしいところだと名波選手などが簡単なトラップミスをしてみたりパスミスをしてしまったりするわけですね。
ケアレスミスと言ってしまえばそれまでですが、そんじょそこらのケアレスミスとはちょっとだけ違うんだよ、なんて書いてみましたよ。
ま、ミスはミスですし、実際こういった選手たちがミスした場合、得てして傷が大きくなる、なんてことが往々にしてありますね。でも実はこれも、その選手の性質を理解した上で、息を合わせた結果だったりするのですよね。

えー、ずいぶん長々と、そして最後はシリ滅裂になってしまいましたが、こんなことをほんのちょっと考えつつ、あとはケツかいーだヘチマだヘッタクレだ言いながらサッカーを観ています。
おしまい。


and Peace!
by hajimechan74 | 2007-06-22 11:27 | スポーツ
<< 『偽伝、樋口一葉』(その4) セクシーボイスアンドロボ >>